大学サッカー通信
第17回 大学サッカー通信 ~松木駿之介(青森山田高校→慶應義塾大学4年)
2018年09月25日
第17回 松木 駿之介(青森山田高校→慶應義塾大学ソッカー部 4年)まつき しゅんのすけ
神奈川県出身。横浜FCジュニアユースから、中学3年の10月に青森山田中学校に転校し、青森山田高校へ。高校3年時にはインターハイ3位入賞。同大会では優秀選手に選出された。
2016年 デンソーカップチャレンジサッカー全日本大学選抜。
J2・ファジアーノ岡山加入内定。
青森ゴールVOL.29、30、32にインタビュー掲載。
青森ゴールVOL.28、31に写真掲載。
取材日 2018年8月12日(日)
慶應義塾大学下田グラウンド
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華々しい大学サッカーデビューから一転、怪我で苦しい時を過ごした荒鷲軍団のエース・松木駿之介。怪我からの復帰、プロ内定、昇格を目指す苦しい今季とは-
―順風満帆な大学サッカー生活のスタート― 大学に入学してからの松木は、まさに順風満帆だった。入学してすぐのリーグ開幕戦でスタメン出場を果たすと、1試合を除く関東大学サッカーリーグ1部の21試合に出場。8得点を挙げる活躍で、新人賞も受賞。「すごく幸運なことに、最初から評価してもらえました。多分周りも驚いていたと思うんですけど、自分でもびっくりする位、順調に大学サッカーをスタートさせることができました」。しっかりとレギュラーの座を掴んだ松木は、2年生になっても試合に出場し続けた。しかし、順調な大学サッカー生活はいつまでも続かなかった。2年生の11月に怪我をし、長期離脱を余儀なくされたのである。
2年生で全日本選抜に選ばれていた松木は、翌年8月に行われるユニバーシアード競技大会のメンバー入りを果たすため、3年時のリーグ開幕までに間に合わせたいというモチベーションでリハビリを進めていた。全日本選抜が出場するこのユニバーシアード競技大会は、2年に一度の開催となるため、3年生で迎えるこの大会は、是が非でも掴みたいチャンスだった。しかし「そこで少し焦ってしまった。自分の知識不足で入院中に悪化させてしまい、再手術という形になってしまって。結局、トータル約11ヶ月かかって、復帰したのは3年生の10月頃でした」。もちろん、ユニバーシアードのメンバーに入ることは叶わなかった。
3年時の10月、松木が復帰を果たした時、チームは1部リーグの残留争いをしていた。残りの5試合に出場を果たすも、勝利したのは5試合中1試合のみ。松木の得点も生まれず、関東大学サッカーリーグ1部で最下位となった慶應義塾大学は、2部への降格が決定。「自分のパフォーマンスを戻すことができずに、チームを勝たせることができませんでした。この舞台にいるのも自分の責任です」。
4年生になり、チームの主将を務めることになった松木だが、荒鷲軍団の船出は厳しかった。「結果が出せなければ、(主将に推してくれた)同期を裏切ることにもなります。今年は何としても昇格して、後輩たちに1部の舞台でやらせてあげたい気持ちでやってはいるんですけど、結果が出ないのが現状です」。前期を終えて、勝利はわずかに2試合。12チーム中9位で前期を折り返した。1部の舞台に返り咲くことを目標としているチームにとって、厳しい現実だった。「僕はずっと1部の舞台で先輩方にやらせてもらってきたからこそ、プロの目にも留まることができたと思っています。後輩たちにも、僕と同じようにプロを目指している選手がいるので、後輩たちの夢のためにも、少しでも良い舞台を残してあげたい気持ちでやっていますけど、今年感じたのは、努力が結果に繋がることはすごく幸せだなというか。今までは、努力していれば結果は出るものだと思ってきたんです。サッカー人生の中で今年に懸けてきましたが、その中で結果が出ないということを、初めて感じました。今までうまくいかなかった時は努力していなかったという経験があったので、努力していれば結果はついてくると思っていました。もちろん、努力が足りないというのは受け止めなければいけないと思いますけど…」
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大学に入って他の選手たちと感じた一番のギャップは声。「青森山田は声を出すのが普通ですし、声を出さなければ置いていかれるという感覚でした。大学に入って”山田ってすげーな!”ってみんなから言われましたけど、練習に気持ちが入っていれば声は出るでしょ、という感覚はありました」。
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―高校サッカーと大学サッカーの違い、大学サッカーの魅力― 「高校生と大学生は、身体が全然違いますね。青森山田の時から身体作りをしてフィジカル面を強化してきたことは、大学に入って活きたかなと思います」と語った松木。高校2年生のインターハイで悔しい思いをしたことが、フィジカルの強化に繋がったのだという。「流経戦にスタメンで出て、ボッコボコに吹っ飛ばされて、ハーフタイムで変えられちゃったんです」。その時に黒田剛監督に言われた一言が松木を奮起させ、「身体はなくてはならないものだ」と感じるようになったという。
また、大学サッカーの魅力を「高卒プロだと、相当なスーパーじゃなければ24、5歳位にならないとチームマネジメントに関わる機会はあまりないと思うんですけど、大学生だと20、21歳で自分たちでチームマネジメントをやるようになります。そういう機会は高卒プロより大学に進んだ方が経験できるし、そこが魅力かなと感じます」と語る。青森山田高校の後輩・郷家友太選手(J1・ヴィッセル神戸)が高卒プロで活躍し、「ポドルスキやイニエスタとやっちゃって!(笑)。すっごく幸せそうだなと感じますし、うらやましい気持ちもあります。でも、僕は高卒でプロになる実力がなかったですし、大学に入って自分と向き合って、かつチームマネジメントをやりながら人間的にも成長することができたからこそ今の自分があると思っているので、そういった意味では大学に進学して良かったなと思います。大学に進学するという選択肢しかなかったんですけど」。
大学に進学し、成長できたと語る松木は「なぜ大学に行くのか答えを見つけた上で進学しないと意味のないことになってしまう」と言う。「僕は、サッカーが駄目でもきちんと就職しようと考えていました。だからこそ、慶應は強みだと感じながら入学して、今まで過ごしてきました。なぜ大学に行くのか?自分の中で答えを見つけておいた方がいいなと感じます。偉そうに言える立場じゃないですけど」。
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「サッカー人生で一番楽しい試合だった」と語るのは、青森山田高校時代の同級生・小笠原学(早稲田大学4年)とマッチアップを果たした早慶戦とのこと。「負けた中で、試合が終わった後に幸せな気持ちが出てきたことは今までなかったです。主将で最後の早慶戦、作り上げてくれた仲間たちの姿をより近くで感じながらピッチに立てたというところもあるとは思いますけど、それ以上に、学とマッチアップできてバチバチやりあえたことはすごく幸せでした」。
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小さい頃からプロになりたいとは思っていたが、「プロになれる」とは思っていなかった。
それは「完全に夢」
大学4年間で燃え尽きるまでやろう。それでプロになれなかったら、きっぱりあきらめよう―
「目標は岡山バカなサッカー選手に」
そんな一文が印象的な来季加入内定のお知らせが届いたのは、2018年3月12日。怪我で苦しい時も気にかけてくれていたJ2・ファジアーノ岡山への加入内定だった。「みんな温かいですし、真面目で謙虚。良い意味でプロ感がないというか、”俺らプロだぜ!”ってイキっていないというか。僕が大切にしている部分なので、そこが一番魅力に感じた部分です」。将来の目標は「日の丸を背負うこと。J2スタートですごく難しいと思いますし、周りから見てもでかいこと言ってるなって思われるかもしれませんけど、僕は全然やれると思っています」。刺激し合ってきた、青森山田高校時代の同級生・菊池流帆(大阪体育大学4年)や他の仲間たちは、ユニバーシアード競技大会で日の丸を背負って世界一を獲って帰ってきた。その経験から「どうしても日の丸をつけてプレーしたい。そこは僕の最終目標です」。
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