大学サッカー通信
第23回 大学サッカー通信 ~蓑田 広大(青森山田高校→法政大学1年)
2019年02月26日
第23回 蓑田 広大(青森山田高校→法政大学1年)
みのだ こうだい
神奈川県出身。大豆戸FCから青森山田高校サッカー部に入部。3年時にはセンターバックとしてレギュラーを掴み、高校選手権に出場すると、大会優秀選手に選出され高校選抜の一員として、第56回デュッセルドルフ国際ユースサッカー大会(ドイツ)に出場。大学ではU-19全日本大学選抜EASTメンバーに選出されるなど活躍を続ける。
青森ゴールVOL.46、50にインタビュー掲載。
取材日 2018年12月19日(水)
平成30年度 第67回全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)
準決勝 法政大学 vs 順天堂大学 @味の素フィールド西が丘
取材:文:写真 安藤隆人
不本意な形で終えたルーキーイヤー。
激動の1年を駆け抜けた蓑田がシーズン後に語ったこの1年の苦悩と目標―。
― 無念のマッチアップ ― 法政大が42年ぶりのインカレ優勝を果たした瞬間、1年生のCB蓑田広大はピッチに居なかった。
準決勝まではスタメンだった。選手層の厚い法政大の中で1年生ながらCBのレギュラーを掴んでいた蓑田だったが、準決勝の順天堂大戦の開始5分に右足首を負傷し、12分で交代を告げられた。この怪我の影響で駒澤大との決勝戦ではスタメンから外れ、出番はやって来なかった。
「多分、問題ないと思うのですが…」。と順天堂大戦後に語っていた蓑田にとって、かなり悔しい想いを味わったことは容易に想像できる。なぜならば、準決勝の段階で悔しさを口にしていたからだった。順天堂大戦は蓑田にとって気持ちが昂る一戦だった。
「もう順天堂大が準々決勝に勝った段階で、『エブさんとマッチアップできる!』とかなり燃えていました。ずっと意識をしていました」
順天堂大のFWには青森山田高で1学年上のFW三國スティビアエブスがいた。青森山田時代はサイドバックだったが、ここに来てFWにコンバートされたことで、CBである蓑田とマッチアップすることになった。
「僕はリーグ戦での順天堂大戦は出ていないので、エブさんのFWとマッチアップしたのは初めてでした」
立ち上がりから蓑田は三國のマークについた。高さとスピードを誇る三國に対し、バチバチのバトルを挑む姿は、気迫に満ちあふれていた。
しかし、5分、ルーズボールをクリアしようと右足を振り抜こうとした瞬間、飛び込んで来た相手の足が右足に思い切り入った。その瞬間、ゴール裏で写真を撮っていた筆者のもとにも大きな衝撃音が聞こえて来た。蓑田は表情をゆがめ、右足を引きずっていた。
「広大、大丈夫か!?」というベンチの声にも「大丈夫です! 行けます!」と答え、プレーを続行し、その直後に三國が裏に抜け出した所を猛ダッシュで寄せて、ボールを奪い取ってクリアするなど、気迫の守備を見せた。
だが、12分、自ら両手で交代を要求するジェスチャーを見せ、無念の交代となった。
「やりたかったけど、無理でした」
試合後、悔しさを滲ませた蓑田。たった12分間だったが、三國とのマッチアップは期待していた以上に楽しかった。
「身体能力という面では、大学サッカー界でもずば抜けているので、エブさんのその能力と自分の能力を試す時でもありました。対戦してみて、やっぱり脅威のFWでした。ジャンプ力だったり、普通の人では伸びて来ない所で身体が伸びてくるので、身体能力は凄まじいなと思いました。本当に楽しかったからこそ、さっきもエブさんに、『お前ともうちょっとやりたかった』と言われたので、『僕ももっとやりたかったです』と答えました。悔しかったです」
― 激動の1年を振り返る ― 彼にとっては不本意な形で大学のルーキーイヤーを終えた。だが、この1年でベンチにすら入れない経験、1年生ながらレギュラーを獲った経験。そして最後の重要な決勝戦に出られなかった経験。すべて非常に意味のある経験を積み重ねることができた。
「前期はリーグ戦で2試合に出させてもらった。でも前期の早稲田大戦ですごい大敗(2ー5)をしてしまって、そこから自分の中で悩んでしまった時期が続きました。でも、しっかりと整理できない時期もあったのですが、落ち着いて来た時に自分自身をもう一度見つめ直して、後期は切り替えて頑張ろうと思えた。後期は法政大のサッカーに合わせながら、チャンスをまたもらうことができました。法政大には特徴ある選手が沢山いるので、味方に合わせながら、監督の求めるサッカーをする。それを第一に考え、それを自分の身体に流し込みました。大学はレベルもかなり上がりますが、CBとして求められることはどこでもゼロに抑えることだし、ゴール前で身体を張れて、チームを鼓舞する声を出せる選手。これは自分が高校時代に鍛えられた要素だと思っています」
青森山田ではCBとして徹底して『ゴールを隠す守備』を鍛えられた。その経験は彼の大きな土台となっている。
「黒田剛監督に教えてもらった守備の仕方だったり、自分が高校の時に身につけた守備は大学でかなり活きているので、そこは自信を持って高校で学んだことをスキルアップさせることができていると思います。高校の時よりもこの1年は悩んだ1年で、春と夏場は特に悩みました。同期はすぐに試合に出ている選手もいて、僕がその中で出られない焦りはありました。危機感は常に持っていて、上の学年にポジションを譲っていたら、自分の将来はないと思うし、1年から活躍する選手になる考えがあった。遠慮したくないけど、難しくて悩んだ。角田涼太郎(前橋育英↓筑波大)は大学選抜でも一緒だったし、すごく良い選手。アイツに常に刺激を受けています。僕の一方通行ですが。(郷家)友太(ヴィッセル神戸)からも大きな刺激を受けていて、Jリーグを見る度に友太が出ているし、早く彼とマッチアップしたいです」