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「既存のクラブ経営ではサポーターのためにならない?」 奥山大が、本田圭佑と“全員参加型クラブ”「One Tokyo」を立ち上げた理由

2020年02月26日
写真・文 Yuuki Honda 

1月14日に本田圭佑選手が、Twitterに「2020年、本田圭佑、サッカークラブをみんなと一緒に創り上げるためゼロから立ち上げます」と投稿し、創設を発表したサッカークラブ・One Tokyo。

 1月24日にトライアウトがアミノバイタルフィールドで開催され、書類審査を通過した110名の選手が集い、入団をかけてしのぎを削った。
 そしてこのトラウアウト以降、クラブのコンセプトの1つである「全員参加型クラブ経営」を体現するためにオンラインサロンを開設。

 「クラブへの貢献度の可視化」「監督を決定する選挙の実施」など、ユニークな施策を続々と発表。リアル『サカつく』(『プロサッカークラブをつくろう!』)を標榜し、業界の内外からサポーターを集めている。

 なお、トライアウト当日には本田選手も会場に姿を現し、その目で選手たちを視察した。
 このように、創設から続々とインパクトのあるリリースが続いていることに加えて、日本サッカー界を大いに賑わせてきた本田選手の存在もあり、その動向が注目されているOne Tokyo。

 だが、運営を任されている運営責任者の大学生――奥山大(おくやま まさる)さん――についてはあまり知られていない。

 青森県八戸市の出身で、慶應義塾大学の4年生で、この夏に卒業を控える現役生の彼について、本田選手はこう話している。

 「僕は、作りたかったクラブに合う人材をずっと探し求めていたわけです。そんな時、彼にお会いさせていただいたんですが、なんてこのチーム(One Tokyo)の運営スタイルにぴったりのキャラクターの持ち主なのかと思いました。もう会ったその日のうちに、彼とクラブを立ち上げようと決めていましたね」

 クラブ創設のわずか2週間前に出会った本田選手と、サッカークラブの創設を敢行したのはなぜなのか?

 この疑問について、青森ゴールが複数回にわたる連載で追いかける。
トライアウト当日に聞いたチーム創設秘話

 天候は曇り。気温は10度。

 One Tokyoの入団トライアウトの当日、110人の選手たちが入れ代わり立ち代わりゴールを目指すピッチは静かだった。報道陣と運営スタッフが合わせて50人ほど。スタンドには選手たちの友人や保護者だろうか。観戦者がまばらに並び、黙してピッチを見守っている。

 反対側のスタンドに目を向けると、奥山さんが腕を組み、選手たちの動きをつぶさに確認している様子が伺えた。これから共に上を目指していく仲間を見極めるための作業だ。遠くからでもその真剣さがわかった。

 トライアウトは10時からスタートし、14時半ばには終了。15時過ぎには選手たちも会場を後に。会場の清掃など、諸々の雑務を追えた奥山さんに話が聞けたのは17時頃。徹夜あけで当日を迎えたという奥山さんは、少々疲れを感じさせる様子だったものの、その目は明らかに力強く、未だに一からクラブをつくることへの興奮を抑えきれないといった色を映している。

 まずは、トライアウトの成果から聞いた。

――お眼鏡にかなう選手はいましたか?
 
まず、短い募集期間でこれだけの選手に応募してもらえたことに感謝しています。今回選考突破した選手を含めて、今後チームに加わる選手は、もっとパーソナリティの部分も見ていけたらと思っています。ただ、本田さんはもう少し選手を見てみたいという感じでしたね。

――ではもう一度トライアウトを行うという可能性も?
 
そこですよねえ...難しいところです。まだ決めてはいません。各ポジションに2人ずつと、GKの3人を合計した25人でチームを編成したいと思っているんですが、まだ理想形にはほど遠いですね。ただし、まだチーム運営も始まったばかりなので、各々がどれだけコミットメントできるか、というところも含めて選考していきたいです。

――なるほど。では改めてチームについて。創設を発表したときの反響はかなり大きかったと思います。実際、渦中にいた身としてはどう受け止めましたか?
 
SNSでの反響は正直追いきれていないんですけど、知り合いからの反応は、「本田選手と一緒なんてすごいじゃん」「これまで頑張ってきてよかったね」というものが大半でした。まあ、基本的には本田さんのプロジェクトとして受け止めている人が多かったと思います。
――その本田選手にも話を聞いたのですが、もともと彼が温めていたクラブのコンセプトに、奥山さんの考え方がぴったりだったと言っていました。奥山さんが送ったDMの始めの3~4行を見たところで興味が湧いたと。それがはじまりだったと。

へえ、本当ですか。そんなに特別なことを書いたわけではないと思うんですが...本田さんに自分の熱意が伝わったのはなぜかとよく聞かれるんですけど、僕は本田さんだからっていつもと違う言葉を使ったわけではなくて。だから、本田さんがなぜ僕のDMに惹かれたかは問題ではないんですよね。

偶然か必然か 共通していた2人のクラブコンセプト

――本田選手と共通していた「全員参加型クラブ」というコンセプトが鍵になったんですよね。

はい。本田さんの考えを知らずにそれを伝えたので、僕に興味を持ったんだと思います。クラブを立ち上げる上で多少のすり合わせはありましたし、僕は本田さんのように解像度の高いイメージを描けていたわけではないんですけど。

――2人のイメージを融合させてOne Tokyoのコンセプトができたと。

はい。

――お互いに譲れない部分はありましたか?

あ〜それはいまのところはなくて。僕も本田さんも、あくまでOne Tokyoというチームの1人にすぎないので、ぶつかりようもないというか。

既存のクラブ経営ではサポーターのためにならない?

――チームの発起人である本田選手と運営責任者である奥山さんでも、あくまでチームの一員に過ぎないということですよね。

はい。

――その最もたる例が、肩書に関係なく、1人1票の投票権を持つという投票制度だと思います。投票で決められるものはすべて選挙のような形で決めていこうということですが、これはどこまで当てはまる話なんでしょうか。

まだ探り探りの状態ではありますし、直接か間接かはわかりませんが、民主主義的なやり方になると思います。いまのところピッチ内のスタメンを決めるのは監督の役割という想定ですが、それ以外の部分――例えば監督や選手の選考も投票で決められたらと思っています(監督の選考はすでに実施。タレントの武井壮さんに決定した)。

――監督の意向も1票ですか?

そこが難しいところですよね。そのあたりの座組みはいま組み立てているところです。

――そこはたしかに…

難しいですよねえ。
――ええ。ではそもそもの話になるのですが、なぜ「全員参加型クラブ」というコンセプトを思いついたんでしょうか。

クラブの一番の資源は応援してくれる人だと思うんです。でも、現状サッカークラブの運営は、スポンサーシップと放映権に依存していて、その影響によってクラブの方向性が左右されてしまう。これは不健全だと思うんです。

――不健全というのは、サポーターにとって不健全ということですよね。

はい。スポンサーや放映権の都合でクラブの方向性が左右されて、サポーターの意見が通らないんじゃ当然文句が出ますよね。でも、文句が出るということは、ファンがクラブを“自分ごと化”できていないということでもあるんですよね。

――“自分ごと化”。

既存のクラブ経営の仕組みは、サポーターの意見が反映されにくいようにできているんです。クラブはスポンサーや放映権を無視できないから、どうしてもサポーターの意見を聞くのが後回しになってしまう。だからサポーターとしても、クラブのことを“自分ごと化”しにくいんです。

――なるほど。この“自分ごと化”ができたサポーターは、“自分ごと化”できていないサポーターと比べてどう違ってくるのでしょう。

人って単純に、自分が作ったものや関わったことに対しては大きな情熱が持てるんです。何かに参加することで生まれるエネルギーはすごいと僕は思っていて、それをうまくクラブ経営の形に落とし込もうというのが、オンラインサロンの開設と投票制度の実施ですね。まだまだ試行錯誤をしている段階ではありますけど。
象徴的だった町田ゼルビアの一件

ーー“自分ごと化”できていないことに課題感を持つようになったきっかけはあるんですか?

僕は大学でスポーツビジネスといわれる分野を学んでいて、スポーツ界全体のビジネス的な事柄は意識的にキャッチアップしているんです。そこで少しずつ、サポーターに向き合いたいけど向き合えないクラブのジレンマが見えてきて。町田ゼルビアの藤田晋社長が、ファンに泣きながら訴えかけられることもありましたし。

(編集部注-2019年10月11日に町田ゼルビアが開いたサポーターミーティングで、クラブ名を「FC町田トウキョウ」に改名すると発表した際に、サポーターから大きな反発を受けた)

――あれはクラブとサポーターの齟齬が見えた象徴的な事件でしたよね。

そうですね。だからOne Tokyoではスポンサーシップなどの外側の力学に縛られすぎない体制を、一から作っていこうと思っています。

逃げ続けてきた人生

――ここからは奥山さん自身についてお聞きしたいのですが、そもそも本田選手とコンタクトを取ってから1ヶ月も経っていませんよね?(取材日は1月24日)

はい。自分でも驚いてます。もう毎日が刺激的です。

――プレッシャーもあると思うんですが、その点についてはどうやってコントロールしているんですか?

僕はめちゃくちゃメンタルが弱くて。人生の中で何回も夢を諦めそうになってきているんです。

――夢とは?

サッカーを通して社会に良い影響を与えることです。

――その夢に一歩どころか大きく前進したと思うのですが、同時に抱えたプレッシャーの大きさも半端ではありませんよね。

はい。さっきも言ったように、僕はそんなに強い人間ではないんですね。でも、自分のことを自分で嫌いになってもいいし、もうできないと諦めていもいんだけど、そうすると、いままで僕を応援してくれた人も裏切ってしまうと思って。僕は強くないし、賢くもないし、器用でもないけれど、周りには恵まれてきたんです。

――まわりに恵まれてきたからこそ、彼らや彼女らを裏切れないと。

そうです。いろんな人の思いの上に、僕という人間が成り立っていることを自覚した瞬間があって。

――それはいつ自覚されたんですか?

去年です。ある大きなイベントの運営を任されたんですけど、それがぜんぜん上手くいかなくて。頑張っても人に迷惑をかけるし、誰も喜んでないから、諦めモードになっていたんですね。でも、そこで利害関係の外にいる友人たちが、損得関係なく助けてくれたり応援してくれたりして...そこで自覚したというか、実感したというか。自分の意思決定って、自分だけで行われるものじゃないんだなと強く感じました。これに気づけたからこそ、いまがあると思ってます。それまで僕はずっと逃げ続けてきたので。
――逃げ続けてきたというのは?

まずはプロのサッカー選手になることから逃げました。僕は小学生から高校生まで現役だったんですが、高校で選手としての人生に見切りをつけました。でも、当時の自分は文武両道という言葉に逃げていたんです。僕よりも上手い選手に対しては、その選手に勝てない言い訳として「僕は勉強もやっているから」と考えて、逆もまた然り。サッカーも勉強も、本気になることから逃げる理由にしていたんです。

――なるほど。でも、結果的に大学ではソッカー部(慶應義塾体育会ソッカー部)のマネージャーになったのですよね。完全にサッカーから離れなかったのはなぜですか?

怖かったんです。サッカーから離れるのが。マネージャーも言ってしまえば逃げですよね。自分からサッカーを取ってしまえば何が残るのかと考えたら怖くなって。だから折衷案というか。

――これまで積み上げてきたものがゼロになるのが怖かったと。

はい。でもそれも失礼な話で。というのも、ソッカー部には2年生の時に同期の中からプレーヤーをやめてもらって、コーチに転身してもらう学生コーチという慣習があって。僕はサッカーを辞める怖さも苦しさも知っているから、覚悟を持って学生コーチになった彼らを前にして、「おれの覚悟ってどれだけのものなんだ?」って考えさせられて、そのときに気づきました。また逃げてたんだなって。
――それに気づいた後はどう行動したんですか?

自分に嘘をつくのはやめようと思いました。僕は弱くて、でも言い訳を考えるのは上手いから、理由を作って逃げることから自分を正当化してきたんです。それをやめて、自分のやりたいことを信じるようになりました。いま振り返れば、相対価値ばかりに振り回されていたなと思います。

――では最近なんですね、夢をちゃんと追いかけようと思ったのは。

そうですね。

――そのために就活もしなかったんですよね。

なんとなく就活して、OBがいる企業に行っても、それは過去の逃げていた自分と同じだと思ったんです。内定をもらえる/もらえないという表面的なところをゴールにするのではなく、「これだ!」と思えるものに取り組んで、次につなげていきたいと思ったので。結局、面接官に受けるESを書いても、いまの自分にはなんの意味もないなって。

――逃げて続けてたきた人生をここで変えなければまずいぞと考えた。

そうです。就職しても、どうせまたこの壁にぶつかるんだろうなって思ったら、これはもう乗り越えないといけないぞと。このまま一生逃げ続けてもダメだって。大学での4年間で、サッカーにも勉強にも上には上がいるとわかったんですけど、何が上位かなんて明確な基準はないわけだから、であれば、自分が信じることのために頑張るほうがいいと思ったんです。

挑戦の1年目

 逃げ続けてきた奥山さんと、挑戦を続けてきた本田選手。

 見事に異なる人生のコントラストを描くコンビだが、その思想についていえば、こちらは見事なほどに似ていた。2人の出会いを偶然の一致ととらえるか、運命の合致ととらえるかは個人によりけりだ。

 この出会いがもたらす結果も、まだわからない。

 しかし、歯車はもう回り始めた。

 答え合わせは10年後。One TokyoがJ1優勝を目標に掲げる年、2030年まで取っておこう。

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