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AOMORI GOAL vol.38 青森山田高校インタビュー⑥

2016年03月30日
現在発売中の『AOMORI GOAL vol.38』。
表紙及び巻頭特集は、青森県代表として第94回全国高校サッカー選手権大会に出場し、堂々の全国3位となった青森山田高校。監督、コーチ、そして選手たちに大会についてお聞きすると共に、3年生には青森山田で過ごした日々を改めて振り返ってもらいました。
HPでは数回に分けて、誌面のスペースの都合上掲載しきれなかった、選手たちのインタビューをお届けしていきます。『AOMORI GOAL vol.38』と共に、どうぞご覧下さい。
No.4 DF 近藤 瑛佑 (→桐蔭横浜大学)

- DF陣のポジション争いについて。
「最初の新人戦と東北新人大会では、全く試合に出られませんでした。プリンスリーグを戦いながら、ついに自分たちの代がくるんだという実感はあったんですけど、自分たちの代になってみると、自分がどの位置にいるのかがはっきりしてきて、すごく辛くきつい時期が続きました。でも、波塚や岡西と定位置争いをやってきたことが、自分にとってすごく良かったと思っています。
試合に出ていた時は、自分の中で成長が止まっているという感じがありました。でも、自分の代わりに波塚が試合に出た時、試合に出ていた時の自分を思い返して、貪欲に向上しようという気持ちがないからこういう結果になったんだなと思いました。特にヘディングの練習をまたやりだして、自分が出来なかったことが出来るようになってきたので、また試合で使ってもらえたのだと思います。向上しようというのが止まったら先がないんだなという考えにさせてもらったのが定位置争いだったと思うので、良い経験だったと思います」
- アンケートに「大学で常田に追いつきたい」と書いてあります。
「常田は1年生の頃からチームに帯同したり、2年目は選手権にも出場していました。春先のサニックス杯で同じチームだったんですけど、常田は良いプレーをすると褒められていたので、『負けたくない!俺も!』というのがすごくあって意識していました。常田がベガルタ仙台に入団内定が決まった時は、『すごいな、ちょっと悔しいな、俺も頑張らないとな』と思ったんですけど、それから常田がけっこう変わって、自分で積極的にやったり、隣にいてプレーも違うなと思うところがありました。
 ツインタワーと言われてはいましたが、全く常田に及んでいないと思っています。選手権が終わって、楽しかったとかすごい経験ができたというより、このままじゃダメだというのが一番です。常田には、プロに行ったら通用するように頑張って、実力を証明して欲しいです。同時に、自分は常田に認められるように追いつかなきゃいけないと思うので、この先も意識する存在だと思います」

- ライバルの存在があって、頑張れた1年でしたか?
「スタメン11人の中でも、一番そういうのがあったポジションだと思います。監督も常々、DF4人に声を掛けて色々な課題を与え、競争させようとしていました。この先も経験できるか分からないですけど、素晴らしい一年だったと思います」
No.1 GK 木村 大地 (→帝京大学)

- 出場機会はありませんでしたが、選手権を振り返ってどのように感じましたか?
「出る準備は常にしていましたが、4人の交代枠の中で僕が出るとしたら、チームに何か事故が起こった時なので、それが起こらなかったということは、チームとしては良かったんじゃないかと思っています。今回交代選手が活躍したのは、チーム全員が戦ったという結果だと思います」

- 準決勝が終わって整列した際に、木村選手が、泣いている神谷選手の肩を抱いて何か言葉を掛けている姿を見ました。あの時何と声を掛けたのか、覚えていますか?
「世界を獲れ、と。青森山田に入って色々な人と関わってきて、色々な人のプレーを見てきた中でも、彼のプレーは非常にインパクトがありましたし、こいつは何か違うものを持っているなと思いました。目指すべきものが高いほど発奮材料というか、あいつにとっては多分いい意味で刺激になると思ったので、そういう言葉を掛けました。慰めても良かったんですけど、それだとそこで終わってしまうなと思ったので。何か次につなげられるような言葉を掛けることができたらと思いました」

- 木村選手も今後の目標について、アンケートで「世界で活躍する」と書いていますね。
「あいつ(神谷選手)に偉そうなことを言ったので。僕も、目指すべきところは高ければ高いほどいいんじゃないかと思っています。
(卒業後の進路については)色々迷いもありましたけど、現役選手でこの後何年続けられるかと考えた時に、何か違った形でサッカーに携わりたいなと思いました。大学ではトレーナーや指導者としての勉強をしていきたいです」

- サブキーパーという立場は変わらなくても、2年生の時と3年生の時とでは、木村選手の表情や雰囲気が変わったように感じました。それは内面の変化によるものなのではと思ったのですが、木村選手自身はどのように感じていますか?
「ある人に、『同じ時間を過ごすのであれば、笑っていた方がいいよ』と言われました。『お前の気持ちは分かるし、年下に負けて試合に出られないという状況がお前にはある。ただ、そこで腐った顔をしてどうなるんだ。3年生で最後なんだから、仲間に出会えたことに感謝して、仲間と笑って過ごした方が、お前のためにもなるし、仲間のためにもなるんじゃないか?』と。その言葉があって、確かにそうだなと思ったので、変わったと見てもらえていたのなら良かったなと思います。
 これがおそらく3年目で出られなかったのであれば、僕はあのまま腐っていたと思いますし、逆に、それが早くて良かったのかもしれません。試合に出ていないのに良かったという表現はちょっと良くないかもしれませんけど、そういう経験ができたということは、今後に繋がってくると思います。例えば、試合に出られない選手に掛ける声にしても、僕はそういう経験をしていますから、その人の立場に立って声を掛けることができると思います」

- 最後に今、伝えたいことは。
「3位という結果の陰には、一生懸命頑張ってくれる仲間がいて、応援してくれる人たちがいました。
 応援してくれた仲間は、おそらく試合に出ている選手や、メンバーに入っていた選手よりも、悔しい思いをしていると思います。自分が出ないで負けることほど悔しいことはないなと改めて僕も感じましたが、試合に出る可能性は僕にはあったかもしれないけど、その可能性がなく、声で応援するしかないというのは、気持ちの面で難しいところがあったと思うんです。そこを割り切ってやってくれたことに対して、本当に感謝という言葉しか思い浮かばないです。3年生を中心としながら、1・2年生もそれについてきてくれた。桐光学園との試合でも、1・2年生が一生懸命涙を流しながら応援してくれたのを見ていて、すごく嬉しかったです。父兄さんもたくさん応援してくれていましたし、学校の先生もそうです。1年間プレミアリーグを通してもそれは感じましたし、見えないところでもたくさんの人が応援してくれました。そういう人に感謝の気持ちを伝えられるような人になっていきたいなと、改めて思いました。
 キーパーとしての能力でいったら僕の方が絶対的に低いので、そこで何か違うことというか、チームに貢献できることをしなければ、Aチームには入れないと思いました。同期の3人には感謝していますし、それは(廣末)陸も、他の1・2年生のキーパーもそうです。
 キーパーというのは特殊なポジションで、練習も違いますし、フィールドとは違う雰囲気もあり、一人しか出られない。その中で3年間やりきれたことは僕の自信にもなっていますし、1・2年生も、負けたくないという強い思いを持って練習に取り組んで欲しいなと思います。そうでなければ、あれだけ一生懸命指導してくれている大久保コーチに申し訳ないと思います。常に大久保コーチも向上心を持って指導してくれていました。僕なんか下手くそですけど、そういうコーチに対して、せめて一生懸命という気持ちで毎日取り組んでいました。だからこそ、5年間見てもらって最後にあのピッチに立てなかったというのは、僕の力不足以外の何物でもないですし、そうやって教えてくれた大久保コーチに対して、申し訳なかったなという気持ちが強いですね。
 その思いを今後につなげていけたらというか、つなげていかなければいけない。先輩たちも頑張っていますから、それに刺激を受けてやっていけるのが青森山田の強さだと思います」

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