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現在発売中のVOL.46から、『青森県縁の蹴球人』を掲載します!
2017年07月07日
青森県外で活躍している県出身者、青森県に縁のある現役選手や指導者など、
様々な形でサッカーに携わっている方々を紹介するページです。
今回は2人の蹴球人を紹介します。
夢は、障がい者のための‥
元CPサッカー日本代表
相馬 勇樹
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2016年4月1日、日本障がい者サッカー連盟が発足された。
これは、「日本アンプティサッカー協会(切断障がい)」「日本CP(Cerebral Palsy)サッカー協会(脳性麻痺)」「日本ソーシャルフットボール協会(精神障がい)」「日本知的障がい者サッカー連盟」「日本電動車椅子サッカー協会(重度障がい等)」「日本ブラインドサッカー協会(視覚障がい)」「日本ろう者サッカー協会(聴覚障がい)」の7つに及ぶ組織が統合されたものである。
近年注目を集めつつあるブラインドサッカーの他にも、以上のように、たくさんの障がい者のサッカーがあるのだ。
その中の一つであるCPサッカーは、脳性麻痺の障がいを持つ人がプレーするサッカーである。脳性麻痺とひとくくりにしても、その程度や、障がいのある箇所は異なる。そのため、クラス分けを実施して、試合の公平性を整える場合もある。
CPサッカー選手、相馬勇樹 そんなCPサッカーの選手としてプレーしているのが、今回紹介する相馬勇樹さんだ。「生まれつきの左半身麻痺」だという彼がCPサッカーに出会ったのは、高校生の時。当時の担任の先生に教えられ、その存在を知った。
「高校卒業後に、社会人サッカーのチームに所属するという選択肢もあったんですが、自分と同じ障がいを持つ人たちとサッカーがしたいなと思って。今はあるCPサッカーのチームに所属しています」
現在、生まれ故郷の青森から出て、埼玉で一人暮らしをしている相馬さん。働きながら、CPサッカーの活動にも精力的に関わる。その意欲はどこからくるのだろう。
「CPサッカーを始める前は、普通のサッカーをしていました。初めてプレーしたのは中学生の時です。戸山中学校のサッカー部でした。結構強かったんですよ? まあ、青森山田中学校にサッカー部ができてからは、勢力が逆転されたんですが(笑)。
高校進学を前に、もっと上手くなりたいと思ったんです。ただ流されるように練習してもダメだと。自分から意欲的にならないとダメだと思ったんです。というのも、その時のサッカーに打ち込む原動力が、 ”私をいじめていた人たちを将来見返す “というもので。そういう反骨心でやっていたんです。
そんな気持ちで、いざ高校に入学してみると、サッカー部がない。仕方ないので、同好会を作って活動を始めて、三年の時にやっと部活動として認められました。 (今も東奥学園サッカー部は、存続している)
それで、同窓会の時に久しぶりに会ったんです、当時私をいじめていた人に。その時の帰りに、『昔はごめんね』と言われて。嬉しかった反面、 ”見返してやる “という自分の考えが間違っていたんだなとも思いました。サッカー以前に、人として弱かったんだと思います。もっと精神的に強くなろうと思いました」
(続く)
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多くの方に知ってもらいたい!ブラインドサッカーをゆるくサポート
高橋 美恵子
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ブラインドサッカーでは主に、転がると音のなるボールや、監督、GK、そして「ガイド」と呼ばれるスタッフ(ゴールの後ろに立っている)の指示によって、ボールの位置や、対戦相手の位置を把握し、ゴールに迫る。
トップクラスの選手になると、常人には聞き取れない微かな音を拾って、ゴールを奪う。そのため、観客は些細な音も出さないよう、石のように固まり、固唾を飲んでボールの行方を見守る。
一度ゴールが決まると、それまでの静寂から一転、歓声で会場が埋め尽くされる。ブラインドサッカーはいわば、 "聴覚で戦うサッカー "なのだ。
高橋美恵子さんは、2010年のW杯南アフリカ大会を契機にサッカーにはまり、今や立派な川崎フロンターレのサポーターだ。サッカーを通じて知り合った仲間は数多い。チームの垣根を越え、サポーター同士が繋がることで、 "サッカー "を共有できる友人が増えていくところに、このスポーツの魅力があるという。
そんな彼女とサッカーとの関わりを広げた要因の一つに、「ちょんまげ隊」の存在がある。
ちょんまげ隊とは、角田寛和さんが中心となって、サッカーに関わる様々な活動をしている団体の通称だ。角田さんがSNSなどで活動を呼びかけ、それに賛同した方々が一期一会で集まり、その時間を共有するというスタイルで、日本サッカー界のあらゆる場所に顔を出している(そのため、団体といっても組織化はされていない)。
中でも、東日本大震災に関する被災地報告会は継続して行われており、海外でも開催されている。
サッカーファンなら、一度は耳目に触れたことがあるであろう、ちょんまげ隊。高橋さんも、東日本大震災のボランティア活動に参加した際に、ちょんまげ隊の面々と出会い、それから親しくしているという。
このちょんまげ隊が、ブラインドサッカーと高橋さんを繋げた。
「ちょんまげ隊の方々が現地に応援しに行っていた、ブラインドサッカーアジア選手権のことをブログやニュースで知ったんです。この時、初めて代表選手たちの活躍を見て、興味を持ちました。
その頃から『ブラインドサッカーをいつかは生で見てみたい!』と思っていて、2012年3月、東京で開催された "フィアット・カルチョ "という、ブラインドサッカーのクラブ選手権を観に行きました。
目の見えない選手たちが激しく戦う姿を間近で見て、とても楽しかったという思いと、ブラインドサッカーのことをもっと知りたいという気持ちが湧き上がったんです」
彼女はブラインドサッカーの魅力をこう語る。
「試合中の "音 "を頼りにプレーするスポーツなので、応援も決まった場面でしか声を出せません。静かな空気から、一気に盛り上がったりして、観ている側も普段のサッカー観戦以上にハラハラするんです」
(続く)
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