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今回は第33回全日本高等学校女子サッカー選手権大会に挑んだ帝京長岡高校から青森県出身の籠林 和奏選手の記事を少しだけ紹介します。
2025年04月11日
写真提供:帝京長岡高校
帝京長岡高校
No.5 DF 3年生 籠林 和奏
帝京長岡で強くなったメンタルを武器に
高校では果たせなかった全国優勝を大学サッカーで目指す。
ベスト16で終えた全国大会を振り返り、感想をお願いします。
大会ではあまり緊張することはそもそもなかったです。ただ、いつも複数のポジションをやっていますが、大会前のミーティングでサイドバックになって、少し難しいところがありました。でも本当に必死にやったので、楽しい試合でした。私にとっては最初で最後の選手権だったので、本当はもっと勝ち上がっていきたかったという悔しさがあります。それでも、負けはしましたが、2試合とも全力で戦うことができたので、高校サッカーに後悔はないです。
帝京長岡への進学を選択したのは、どのような理由からだったのでしょうか。
帝京長岡の試合を見たときに、中学生の時いたリベロ弘前でやっていたサッカーに似ていましたし、個人の技術が高いと感じましたので帝京長岡に決めました。
山田選手が籠林選手がいなかったらサッカーを辞めていたと、感謝していました。
私も(山田)野乃の存在は大きかったです。小学校からずっと一緒でしたので。ここに来た最初は周りと馴染めてなくて、野乃と2人でやっていました。私たちは多分、やりたいサッカーとか目指しているサッカーが一緒だったのでうまくいきましたし、後輩に(三上)亜音も入ってきたので、3人でやることが多かったです。
この3年間で一番成長した部分はどこだと感じていますか?
1年目は選手権の前に怪我をしてしまって。とても悔しい1年で終わってしまいました。2年目は、県予選であと一つのところで全部負けてしまい、全国を経験することができなかった。そこで、当たり前に出られるものではないと痛感しました。そこから新チームが10月に始まり、どこのチームよりも早く新チームがスタートしたので、インハイもそうですし、選手権の予選もいい準備ができて全国大会に出ることができたと思います。その3年間を経験して、メンタルの部分が一番成長したと思います。人として帝京長岡は部のルールも多く、そのなかでサッカーをして、今まで以上に挨拶とかもしっかりするようになりました。試合中も苦しいのは自分だけではないと思えるようになり、考え方が高校生、大人になったと思います。うまくいかない時でもぶれないようになりました。
改めて、帝京長岡での3年間を振り返り感想をお願いします。
楽しかったけど、めちゃくちゃ苦しかったです。なかなか勝てない時もありましたし、練習自体もすごく走らされて、朝から走り、練習が走ることだけの時もありました。
(続く)
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