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青森山田高校
高校サッカー界に新たな歴史を刻む
帝政はより磐石に「県内17年間無敗」
「県内チームとの対戦成績320勝0敗」
これは青森山田高校サッカー部(以下、青森山田)のトップチームが、現在進行形で更新中の戦歴である。まさに常勝と呼ぶにふさわしい、圧倒的な大記録だ。しかしその青森山田も、全国へ打って出ると苦戦が続いた。常勝チームを率いて20余年の黒田剛監督も話すように、「青森山田は全国では勝てないといわれてきた」。
しかしその言葉も、もはや過去のものとなった。高校年代史上初の2冠。青森山田が全国で勝てないという者は、もうどこにもいない。
この2冠。その凄みは、各大会のレギュレーションを注視することでより鮮明に浮かび上がる。まずは高円宮杯Uー18サッカーリーグ(以下、高円宮杯)。
この高円宮杯は、例年4月から12月にかけて行われる〝 日本東西の最強2チーム 〟を決めるためのリーグ戦である。
津々浦々に割拠する全国トップクラスのチームが毎週しのぎを削り合う様は壮観であり、半ば「真のUー18年代日本一を決める戦い」と捉えられているほどのタイトルでもある。
そしてこのリーグ戦を勝ち抜いた東西最強の2チームが、〝 一発勝負 〟で雌雄を決する場が、高円宮杯Uー18サッカーリーグ チャンピオンシップ(以下、チャンピオンシップ)だ。激しいリーグ戦をトップで駆け抜けたチームが相対するこの決戦は、ひとつUー18年代のハイライトであり、互いの王者としてのプライドがぶつかり合うハイレベルな試合となる。
青森山田はこの2つのタイトル(便宜上合わせて1冠とされる)を勝ち取った。これは陸上競技でいうマラソン(高円宮杯)と、短距離走(チャンピオンシップ)のタイトルを同時に手にしたようなものである。長いリーグ戦を勝ち抜ける体力と柔軟性。そして短期間で実力を発揮できる瞬発力を併せ持った、総合力の高いチームにしか、この1冠は成し遂げることはできない。青森山田はそれをやってのけた。
高円宮杯を終えて数週間後、全国高等学校サッカー選手権大会(以下、選手権)の開幕を迎えるのが、高体連チームの1年のスケジュールである。1917年から続くこの高体連日本一を決める戦いは、これまでに数多くのドラマを生み出してきた。高体連チームに所属する選手の誰もが憧れる、Uー18年代でひときわに輝くタイトルである。
大会のレギュレーションは〝 トーナメント 〟方式。優勝までには5~6試合を勝ち抜く必要がある。期間は約2週。陸上競技でいえば〝 中距離走 〟になるだろうか。
他の大会と比べて飛び抜けた注目度と、負ければ高校サッカーの終わりという緊張感も相まって、切迫した選手たちの様子が観る者の感情を揺さぶってやまない。内外からくる多大なプレッシャーに打ち勝った者だけが手にできるこのタイトルを、黒田剛監督率いる青森山田は、21回目の挑戦の末に手にした(通算では22回目の選手権出場)。
こうして、短・中・長距離の戦いを勝ち抜く実力を証明し、史上初の2冠チームとして歴史に名を刻んだ青森山田。その強さはどうして創りだされるのか。議論は尽きず、様々な要因が挙げられるのは分かった上で、それでもあえて断定するならば、やはり、チームの指揮官である黒田剛監督の采配によるものなのだろう。青森山田を青森山田足らしめる所以は、かの人の手腕に全てが帰結する。
「左足の選手をなぜそこに置くのか、ということだよね」
先日行われたインタビュー中、コーナーキックでの守備について話が及んだときのことだった。黒田監督は選手の利き足によるキックの癖、種類、クリアのしやすさを考慮した上で、自陣ペナルティエリアのどこに、どの選手を、どう配置して守るのかということを説いた。その緻密さは、監督自身が大事にしている〝 勝負の神様は細部に宿る 〟を熟考した末の答えであり、これまでセットプレーに泣き、喜ばされてきた経験からくる勝負師の妙であった。
その後話はさらに深部へと潜り込み、守備時における各選手の特性や集中力を考慮した上で、さらに細かく選手を配置しなければならない、というところにまで及んでいった。選手の癖や利き足という眼に〝 見える部分 〟と、選手の特性や集中力という眼に〝 見えない部分 〟をコントロール、あるいはセルフコントロールを促すように指導するその徹底した姿勢。徹頭徹尾に完璧を求めるこの姿勢が、青森山田を頂点へ導いた。
先に記した「県内17年間無敗」「県内チームとの対戦成績320勝0敗」という記録のベースにあるのは、「勝つためには何が必要なのか」という作業のトライ&エラーを繰り返し、蓄積された継続の力である。これは選手権において、安定してベスト16に入るだけの地力を常に有する要因にもなっている。青森山田にとって鬼門とも呼ばれるベスト16だが、何と途方もない話だろう。毎年全国4134校中のベスト16である。これは他の強豪校もそうだが、ローマは1日にしてならない、ということなのだろう。
果たして、青森山田の帝政はまだまだ続きそうである。