大学サッカー通信
第35回 大学サッカー通信 ~三文字 瑠衣(青森山田高校→新潟医療福祉大学1年)~
2019年12月14日
第35回 三文字 瑠衣(青森山田高校→新潟医療福祉大学1年)
新潟医療福祉大学 1年 GK
三文字 瑠衣取材日 2019年12月11日(水)
第68回全日本大学サッカー選手権大会 1回戦
新潟医療福祉大 vs 鹿屋体育大学
川口市青木町公園総合運動場陸上競技場
取材/写真/文:安藤隆人
さんもんじ るい
宮城県出身
ベガルタ仙台ジュニアユースから青森山田高校に進学。1年時には国体メンバーに選出される。2年時にはプリンスリーグ東北で出場。3年時は全国高校サッカー選手権に第二ゴールキーパーとしてベンチ入りし、2回目の全国制覇を陰ながら支えた。
第68回全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)1回戦・新潟医療福祉大vs鹿屋体育大の一戦は壮絶な戦いとなった。17分までに阪南大に3−0のリードを許したが、30分にFW小森飛絢が1点を返すと、後半に入って一挙3得点を叩き出し、4−3の大逆転勝利を収めた。
この劇的な勝利を飾った新潟医療福祉大のゴールマウスを守っていたのは1年生GKの三文字瑠衣だった。
「9月の終わりにずっと正GKだった宗像利公選手が怪我をしたことで、僕に出番が回ってきました。ずっとチャンスが来る日を信じて普段の練習から打ち込んできたので、巡ってきたチャンスをものにしようとした」。
北信越大学リーグ後期第4節の金沢星稜大戦でリーグデビューを飾ると、そのまま最終節までスタメンフル出場。その後、GK宗像が怪我から復帰するも、前述した通りインカレ1回戦のピッチには三文字が立っていた。
「宗像さんが復帰した後も僕がスタメンになったのは自信になりました。ただ、今日は3点も取られてしまっているので、自分の出来には納得していませんし、反省が多いです。でも、点を取られて落ち込みましたが、CB喜岡佳大さんら先輩たちが声をかけてくれましたし、試合に出られていない4年生のためにもここで切れたらいけないと思った。後半はゼロで抑えることを絶対にして、声を途切らせないようにやりました」。
ようやく掴み取った守護神の座。彼はこの場所にずっと思い焦がれていた。高校から名門の青森山田の門を叩くが、そこには厳しい生存競争が待っていた。高1でGKとしての下積みをし、高2でプリンスリーグ東北のゴールマウスを守ることになった。しかし、春過ぎの練習中に肩の靭帯を損傷し、手術をすることになってしまった。術後のリハビリも長引き、復帰までには半年の歳月を費やさなければならなかった。
復帰後も選手権の30人のメンバーに入ったが、3年生GK坪歩夢がスタメン、同級生のGK飯田雅浩がベンチ入りし、三文字はベンチには入れなかった。そして迎えた高3はトップチームの正GKは飯田が座り、彼はベンチとプリンス東北でプレーする日々が続いた。
高円宮杯プレミアリーグEAST最終戦の市立船橋戦でトップでは初となるスタメン出場を掴んだが、レギュラーメンバーを大幅に入れ替えての試合であり、その後の選手権は再びベンチに戻ってチームが優勝をするのをピッチ外で見つめることとなった。
「自分のコンディションは良くてもトップの試合に出られない状況に、ずっと悔しい気持ちがありました。でも、日々の練習で紅白戦にしても『Aチームを食ってやる』という気持ちでずっと打ち込んできましたし、モチベーションは落ちませんでした。だからこそ、去年の選手権は本当にチーム一丸となって優勝を狙おうとみんなで誓っていたので、優勝に向けて試合に出ている選手を支えていた。優勝は嬉しかったし、本当にいい仲間に恵まれましたが、やっぱりピッチに立ちたかった。でもそれが叶わなかったからこそ、大学に進んで1年目から試合に出られるように頑張ろうと思っていました」。
高校3年間で味わった悔しさは彼の中で反骨心、向上心となって大学サッカーでの躍進のベースになっていた。だからこそ、アクシデントがあったとは言えど、彼にチャンスが巡ってきたし、それをがっちりと掴み取ることができた。
もう1つ、印象深いことがある。それは三文字の前には青森山田の同級生であるCB二階堂正哉が立っていることだ。2人はチームメイトでありながら、トップチームで一緒にピッチに立ったことがなかった。二階堂は3年生の時からレギュラーとなり、最終戦の市立船橋戦のピッチには立っていなかった。
「普段から仲がいいのですが、一緒に公式戦のピッチに立つのは大学が初めてなので、ちょっと不思議な感覚はします。ずっとあいつは高校でも大学でも試合に出ていて、負けないようにやってきたので、一緒のピッチに立てて凄く嬉しいです」。
苦労しながらも前を向いて力強く前進してきた三文字の姿を二階堂も理解している。
「あいつは高2の時はずっと怪我で苦しんでいたし、高3の時は遠征でも陰ながら支えてくれたし、ずっとスタメンを取ろうと頑張っている姿を見てきたので、大学で一緒に試合に出られているのは嬉しいです。努力は報われるんだなと彼を見て思います」(二階堂)。
これから先、新潟医療福祉大の守護神としてより絶対的な存在となるべく。彼は試合で得る自信と日の目を見なかった日々を土台にして、さらに力を伸ばし続ける。
「青森山田での3年間、そして大学を通じて、我慢しながら努力を怠らないことの大切さを学びました。高校の3年間があったからこそ、大学で絶対に出番を掴むと本気で思えていたし、諦めないでやり続ければチャンスが必ず巡ってくるので、そのチャンスが来たら掴み取れるように準備を怠らない。それは試合に出られているから終わりではなく、その姿勢を続けていきたいと思います」。