大学サッカー通信
第36回 大学サッカー通信~蛯名 航平(八戸高校→東京学芸大学2年)
2020年01月07日
第36回 蛯名 航平(八戸高校→東京学芸大学2年)
えびな こうへい
青森県上北郡東北町出身。グランツ東北からグランツ東北U-15、トリアス七戸U-15を経て、八戸高校へ進学。東京学芸大学蹴球部では、審判員として活動している。
取材日 2019年10月19日(土)
@拓殖グラウンド
小学生から始めたサッカー。大学では、選手としてではなく、審判員としてサッカーに関わっている。
これまでのサッカー人生と、審判員を始めたきっかけとは?
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小さい頃から日本代表戦を観戦するなど、サッカーが好きだった蛯名だが、サッカーをやりたいと思っても地元にクラブチームはなく、小学校の部活は野球、バスケット、卓球だけという環境で育った。しかし、小学4年の時、蛯名にとって待望のクラブチームが立ち上がる。「グランツ東北」である。フットサルの大会に出場してもかなりの点差で負けるなど、決して良い成績を収める事はできなかったが、楽しんでサッカーを続けていた。中学校に上がるタイミングで発足したグランツ東北U-15でサッカーを続けていたが、人数が少なく試合には出られないでいた。そんな中、声をかけてもらった隣町のトリアス七戸U-15に加入。それまで公式戦に出場したことはなかったが、GKに転向したことであすなろリーグに出場することができた。
「青森山田を倒して全国に!と思っていました。リアリティーがあるかどうかというよりは、高校サッカーへの憧れが強かった」という蛯名は、中学校を卒業し、進学校である八戸高校に進学。公式戦に出場したのは数えるほどだったが、それでも「高校時代は楽しかったです。周りに恵まれましたし、面白かったですね」と振り返る。
公立高校は、3年の高校総体で引退するケースが多いが、蛯名はそこで引退せずに秋の選手権まで部活に残るつもりだった。高校2年の選手権で、二次予選まで進めなかったことが心残りだったからだ。「1浪してでも選手権に出たかった」というが、親の承諾が得られず、部活を続けることができなかった。「選手権に出たい」という夢はかなわなかった。
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「サッカーを色々と勉強したい、ルールの理解が自分の武器になれば」 と、小学6年の時にサッカー審判員4級を取得。「一人で三沢の公会堂に申し込みに行った」という行動派。高校1年の冬には3級を取得した。
高校生の時、トップチームに絡めていない時に練習試合で初めて笛を吹いた。「この先輩はこうやって散らすんだな、とか中で見るのも面白いなと思ったのがきっかけです。あとは、サッカーがきっかけで人脈が広がったのが面白かったんです」と、審判を始めたきっかけをこのように語る。本格的に審判をやるようになったのは、大学生になってからだった。「選手としてどこかしらに限界を感じていたのもありますし、裏方の方が性格的にも向いてるんですよね」
サッカーありきではなく、ひょんなことから入った東京学芸大学。「せっかくこの大学に入ったのだから、何かしらの形でサッカーに携わりたい。ここで学べることがあるんじゃないか」と、選手ではなく審判としてサッカーに関わっていくことに決めた。
蛯名が所属する東京学芸大学蹴球部の審判部には、東京都の小学生から社会人、シニアの試合まで、様々な試合の審判の依頼が舞い込んでくる。「審判は突き詰めると奥が深いし、楽しいですよ。できた、できないがはっきり出ますし。ゆくゆくは青森に帰ることになるので、帰った時に『修行してきました!』って言えるぐらいにはならないと、と思っています」
東京では、色々な級の審判員たちと一緒にトレーニングをすることもあるという。「夢として2つ語らせてもらうと、国際審判か、指導に当たるか。青森に戻って、自分が見たり聞いたりした高いレベルのサッカーをベースに、指導できたらなというどちらかですね」
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「大学のサッカーの魅力は、いろんな役割があって、やるだけじゃない面白さがある。スタッフの立場から言わせてもらうと、サッカーが好きで、日本サッカー協会で働きたいなと思っている人とかには良いと思います」
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青森県サッカー協会は、2025年に青森県で開催される第80回国民スポーツ大会(※国民体育大会から名称変更)に向けて、2級審判員を35名確保するという課題に向けて取り組んでいる。
2025年―「ゆくゆくは青森に」と語る蛯名が、青森で笛を吹く姿が見られるかもしれない。
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