大学サッカー通信
第15回 大学サッカー通信 ~霞恵介 (青森山田高校→新潟医療福祉大学4年)~ 第2弾
2018年07月10日
.
第15回 霞恵介 (青森山田高校→新潟医療福祉大学4年) 第2弾
かすみ けいすけ
青森県青森市出身。福田SSSから青森山田中学校・青森山田高校サッカー部に入部。青森山田中ではMFとして1年時からメンバー入りし、中学3年時には全国中学校サッカー大会ベスト8を経験。高校では3年時にインターハイ3位入賞に貢献した。2017年、2018年には関東B・北信越選抜の一員としてデンソーカップチャレンジサッカーに出場。
.
.
青森ゴールvol.29、vol.30、vol.32にインタビュー掲載。
大学3年時の取材記事はこちら (大学サッカー通信第13回)
⇒
https://aomori-goal.com/column/?sc=180208_112939&ct=0002取材日 2018年5月22日(火)
青森山田高校
前回インタビューを掲載した中村祥旗(北陸大学4年)と同じく、中・高6年間を青森山田で過ごし、教育実習生として母校に帰ってきた霞恵介。取材前日には、山田中学校の後輩たちに向けて行われた講話会の檀上にも立ったという。
「祥旗ともう一人の教育実習生と3人で、ひとり5分ずつ、スピーチみたいな感じでやらせてもらいました。僕は中学高校での経験を通して、物事を最後まであきらめないでやり遂げる力がすごく大事だよという話をさせてもらいました」
保健体育の教師として教育実習に取り組む中で、サッカーとは違う競技の指導もしなくてはならない。「バレーボールだと、実際に自分でやりながらルールを言語化して説明するのが難しいです。その間に話を聞いていない生徒もいたりするので、どう聞かせようか指導しつつ自分でも説明をするのがすごく難しいなと思っています」と、教えることの難しさを感じているそうだが、日々充実感を得ている様子で話を聞かせてくれた。
大学進学にあたり、新潟医療福祉大学を選択したのはどのような理由からでしたか? 青森山田中学校からの先輩がいて、その人に色々と話を聞いてた時に監督が代わり、今の佐熊監督が選手を集め始めたのが僕たちの代でした。関東の大学でやるという選択肢もありましたが、トップチームで試合に出られるようになるまで自分が本当に頑張れるのかな?という不安もあり、それなら1年生の時から公式戦に関われるチャンスがあるようなところでやりたいなという思いがありました。
医療福祉大という名前ですが僕の学科は健康スポーツ学科なので、体育大学の感じと似ていると思います。水泳や球技、色々なスポーツの授業を実践するのと、体のことや怪我の管理についての座学とが半々くらいです。
.
.
大学サッカーと高校サッカーの一番の違いはどういうところだと感じていますか? 考えること、自分たちたちでやることが増えたと思います。中学・高校の時も青森山田では、みんなでまとまって話をしてからそれを監督などに相談したりという、自分たちでする活動も多い方ではありました。でもそれ以上に大学は、監督はいますが日常生活や学校生活についてはほとんどノータッチなので、僕たちがしっかりやらなければいけませんし、そういったところを後輩にも指導したりしています。
高校が規律の厳しい環境だっただけに、大学では私生活にはノータッチということで、自由を謳歌し過ぎて道を逸れたりする場合もあるかと思いますが、どうやって自分を律してきましたか? あまりそこまで自分で自分を律しているという意識はなかったのですが、大学生活をいい意味で楽しもうと思っていたのが良かったのかなと思っています。高校生活にも後悔はありますけど、それでも全然少ない方だと思っているので、そういう生活を大学生でもしたいなと思っていました。まずはサッカーで(この大学に)入ったので、サッカーで楽しむためには試合に出ないといけませんし、大学では時間がある分、勉強も自分でできる時間が確保できるので。
実際自分なりに、時間が空いた時は英語の勉強を独学でやったりしています。大学の先輩で英語を喋れる人がサッカー部の中に何人かいて、すごくかっこいいなと思って。そういう良い部分は大学の先輩にとても影響を受けましたし、僕も見習って勉強の面でも頑張っていきたいなと思いました。英語を話せるようになったら、(将来的に)海外の方と仕事での会話で英語を使ったりするというのが夢であったり目標だったりしています。
そのように考えて行動できたのは、大学での環境が良かったというのもあるのでしょうか?
すごく真面目なチームなんですよ。飲みに行ったりすることもないわけではないんですけど、しっかり自分たちで「今週試合あるよね」みたいな会話が自然に出る環境なんです。試合がない日とかに行ける人だけ集まってお疲れ会みたいなことはやりますけど、そういうのはちゃんと考えてやっているチームなので。僕が一番考えてないんじゃないかな?というくらい、みんなは考えていますね。環境が良かったのか、そういう意識を持っている人が集まってくれたので、規律ある生活ができているのかなと思います。
大学サッカーで一番成長したのはどんなところだと思いますか? 青森山田では僕の役目は、後ろから前線へのつなぎの部分だったり、パイプ役というのを意識してやっていて、チームが苦しい時に走力や守備で助けられるような選手というのを意識していました。大学では、チームをコントロールする選手や、後ろから前線までの攻撃を組み立てられるような選手がなかなかいなかったので、監督から僕がそういった仕事を任せられていたのもあって、1年目からゲームの流れをコントロールすることだったり、攻撃のスイッチを入れられるような選手になれたんじゃないかなと思っています。
4年生になり、最上級生としてチームをどのように引っ張っていきたいと思っていますか? 練習の態度や私生活については、キャプテンや各学年の代表の人たちがミーティングをしながら統率してくれているので、あまり問題はないかなと思っています。あと自分にできることがあるとすれば、運良く選抜にも選んでいただいているので、今の僕たちのチームと選抜チームとの違いや実力差、何が足りなくて何が通用するかというのは、僕が言えば説得力があることなのかなと思いますし、それを言うためにはプレーでもみんなに認めてもらえるような、みんなが納得できるようなプレーをしなければいけないと思っています。まずはプレーの面でも中盤ということもあるので、チームをコントロールできるようなプレーを意識してやっています。
.
.
青森山田で6年間を過ごして、今の自分にとって一番役に立っていること、身についているのはどんなことでしょうか? もちろん山田はサッカー部のレベルも高くて技術もすごく学べますが、それ以外にも私生活の面で、中高一貫で挨拶や礼儀を叩き込まれてきたので、そういった部分は就職活動の時も活かすことができたという実感がありました。恥ずかしがらずにしっかり大きく挨拶ができるというのは、ここのこういう環境の中でやらせてもらっていたからこそですし、あとは人の話を聞く態度もしっかり学ばせていただいたので、そういった面は就職活動でもすごく役に立ったかなと思っています。
後輩たちが二冠を獲った時は、どのような気持ちでしたか? もう純粋に、嬉しかったですね。僕たちは選手権では1回戦で負けてしまいましたし、インターハイで3位は取れましたが優勝は出来なかったですし、プレミアでも降格ギリギリだったので。残留できて後輩たちにプレミアを残すことはできましたが、あの時は本当に大変でした。負け試合が多かったので、その後選手たちでミーティングをしたりとか、監督とも意見が食い違ったり、スタッフにも迷惑をかけたり。そういう経験をした僕たちからしたら、プレミア優勝なんていうのも驚きですし、さらにその後の選手権も優勝で、単純に「こいつらすごいな!」という思いしかなかったです。
後輩たちに伝えたいことはありますか? 後悔のない高校生活を送って欲しいです。自分がやりたいと思っていることに関しては、本当に最後まで一生懸命楽しみながらやって欲しいです。サッカー部の後輩だとみんなサッカーが一番やりたいことだと思うので、最後まで自分がどれだけそのサッカーでできるか、それまでの過程を楽しみながら高校生活を終えることで、結果としてAチームでもCチームでも、後悔はないんじゃないかなと思うので。一生懸命楽しく頑張って欲しいです。
.