大学サッカー通信
第16回 大学サッカー通信 ~小笠原学(青森山田高校→早稲田大学4年)~
2018年08月24日
第16回 小笠原学(青森山田高校→早稲田大学ア式蹴球部 4年)おがさわら がく
東京都出身。横河武蔵野FC Jrユースから青森山田高校に入学。1年時は国体メンバーに選出。3年時にはキャプテンを務め、インターハイ3位入賞を果たした。同大会では優秀選手に選出された。
青森ゴールvol.28、30、32にインタビュー掲載。
青森ゴールvol.27、29、31に写真など関連記事掲載。
取材日 2018年8月11日(土)
東伏見グラウンド
大学入学から苦悩の日々が続いたという小笠原。しかし、今は「サッカー人生で一番楽しい」と笑顔で言い切る彼に、一体何があったのか?今までとこれから、そして夢のこと―
―青森山田高校から早稲田大学へ―
「早稲田大学には、全国的に有名な選手ばかりいて、こういう中でやりたいなと直感的に思ったから」と早稲田大学への進学を決めた小笠原。試験対策では、練習後に毎日夜遅くまで面接練習をし、夜中まで小論文を1、2本書く。朝早く起きて朝練をこなし、学校で授業を受けるという日々が続いた。「きつかった」努力の甲斐あって、第一志望のスポーツ科学部に無事合格、というわけにはいかなかった。「受かると思っていたのに、まさか落ちてしまって。一応、社会科学部にも出しておくように言われていたので、そちらを受けることになったのですが、試験がプレミアリーグのホームのヴェルディ戦と重なったんです。その試合に出られないとなって・・・。しかも、その試験まで2週間位しかなくて、立ち直るのが大変でした。全部うまくいかなくて、きつかったです」と当時を振り返る。しかし、何とか奮起し、社会科学部に合格。「ランテスト」に合格し、約1ヵ月間の仮入部期間を経て、晴れて早稲田大学ア式蹴球部の一員となった小笠原だったが、ここから苦悩の日々が始まる。
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「早稲田大学の魅力は、全員が同じところに向かっていること。それはすごいなと思います」。今シーズン、関東大学サッカーリーグ戦1部に返り咲いた早稲田大学は、前期終了時点でリーグ戦1位を独走。後期もこのまま突っ走り、リーグ戦制覇なるか!?
-偽りの3年間-
「大学は、高校時代とは真逆です。高校とは違って、学生が全部決めるので。入部した時、プレーについても何も言われなかったので、逆に自由を与えられて困りました。下級生の時は、それでずっとうまくいかなかったですね」。練習でも、ミスをすると「どうしてそんなプレーになったのか?」と、お互いが踏み込み合う厳しさの中、仲間に打ち明けることができずに戸惑った。入部当初はAチームにいたが、その後はBチームと行ったり来たりした。3年生になっても、出場機会に恵まれなかった。
早稲田大学では、各学年から選出された1名が「学年リーダー」を務める。3年時に学年リーダーを務めた者が、そのまま4年時にキャプテンに就任するというのが通常の流れだ。3年時に学年リーダーを務めていた小笠原もまた、通常通りキャプテンになる流れであった。しかし、「試合に出ていなかったので、自分の中ですごく葛藤がありました。周りからも、”あいつは試合に出ていないのにキャプテンをやれるのか?”とか”お前たちの学年は大丈夫なのか?”と見られていて。じゃあ、キャプテンになるために試合に出なきゃいけないとなると、自分のプレーじゃなく、チームに求められている偽りの自分になっちゃって。プレーもそうだし、生活から性格から自分を演じていました。それを3年間、ずっとやっていました」。
葛藤しながらも、「意地みたいになった」と新チームのキャプテンを引き受けた。しかし、いざ試合に出ると、「自分のことで精一杯になって、チームを先頭で引っ張れないと思った」。翌日には4年生全員に集まってもらい、無理だと頭を下げた。「その瞬間、すごく解き放たれて、全部の荷が下りた感じになりました。やりたいようにやっていいんだって。周りの目も気にしなくなった瞬間からプレーもどんどん良くなって、今、試合に出られているという感じです」。
偽りの自分から脱皮した小笠原は、今がサッカー人生の中で一番楽しく充実しているという。出場機会に恵まれなかった昨シーズンまでとは違い、今シーズンはスタメンに名を連ねるなど、出場機会を増やし続けている。
4年目にして、初めての早慶戦にも出場した。「夢のような時間でした。自分を客観視して、テレビ画面で自分を見ているような感じでした。試合が終わった瞬間は、全然実感が湧かなかったです」と夢の90分間を振り返った。青森山田高校時代のチームメイトで、現在は慶應義塾大学ソッカー部のキャプテンを務める松木駿之介とのマッチアップも果たした。「松木が1年生で試合に出て躍動している姿を見て、かなり悔しかった。早慶戦に出たいという気持ちよりも、松木とやりたい気持ちが強かった。やっと実現できて、松木には待たせたな、と」。早稲田大学は、早慶戦7連覇を飾った。試合後の集合写真では、満面の笑みで写る小笠原の姿があった。
周囲からも「変わった!」と言わしめるほどの変貌ぶりを見せる小笠原にとって、今シーズン、異色の経歴を持つ外池大亮監督が就任したことも、大きな影響を与えている。「あんな監督に初めて会いました。考え方や捉え方が違って、活動も”ただやっている”だけではないんです。一つひとつに価値を見出して、その枠をどんどん社会と接合させていくという考え。チームのみんなも生き生きとしていて、それが結果に繋がり自信になる。間違いなく、良いサイクルができています」。
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「青森山田の選手は、物事に対する本気度が違うと思います。サッカーに対する姿勢、練習前の準備、取り組み、練習後の自主練やケア、食事、睡眠とか。あとは、全てをプラスに捉える!理論上、どういうことがあるのかを踏まえつつ、プラスに変えて取り組むことができれば、大学に来ても戦えると思います。山田の選手はそこが違うと思いますよ」。
―青森山田高校時代―
「青森山田には、本当に色々な人がいました。めちゃくちゃ意識が高くてプロになりたい!という人、サッカーに対して後ろ向きになっている人。色々な地方からも来ていましたし、背景的にも色々な人がいた中で、それぞれの人たちの気持ちに寄り添えたことが、今の自分に活きています」と、高校時代の経験をこう語る。「少しでも寄り添おうとする、一回全部とっぱらって理解しようとしてみる。そうすることで、自分が思っていたのと違ったということが結構あるんですよね。そこの壁をとっぱらってくれたのは、青森山田で色々な人に出会えたから」と話すが、それは、チームをまとめるキャプテンだった故かもしれない。
小笠原率いるこのチームは、プレミアリーグで苦戦を強いられていた。開幕から4試合勝利なし。5節目でようやく勝利したものの、再び負け試合が続いた。監督と選手たちに、サッカー観のズレがあったと小笠原は言う。「おれたちはこういうサッカーがしたいのに、黒田監督はそれでは勝てないと。最初の頃は、自分たちがやりたいサッカーばかりやっていました。でも、やりたいことをやるんだったら、やらなきゃいけないことがあるよね、ということで繋がったんですよ。インターハイの時あたりで合致しました」。結局みんな勝ちたい ― 辿り着いた答えの先に、インターハイベスト4という結果が待っていた。「お互いがお互いを信じていました。負ける気がしなかった」と、スタッフ・選手一体となったチームは、インターハイを挟んで再開されたプレミアリーグ後期で勝ち続け、降格圏にいたチームは、プレミアリーグ残留を果たした。
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