大学サッカー通信
第21回 大学サッカー通信 ~菊池流帆(青森山田高校→大阪体育大学4年)~第2弾
2018年12月05日
第21回 菊池 流帆(青森山田高校→大阪体育大学4年)第2弾
きくち りゅうほ
岩手県出身。FC釜石U-15から青森山田高校へ入学。高校3年時にはインターハイ3位入賞を果たし、優秀選手にも選ばれた。2014年度全国高校サッカー選手権大会優秀選手、日本高校選抜選出。2016年、2017年全日本大学選抜、2017年ユニバーシアード日本代表に選出された。
青森ゴールVOL.29、30、31、32にインタビュー掲載。
取材日 2018年10月9日
青森山田高校グラウンド
「こういうタイミングで母校に来られたことは、神様からのメッセージだと思うんですよ」。そう語った菊池流帆の姿は、教育実習で訪れていた母校・青森山田高校のグラウンドにあった。順風満帆に見える大学サッカー生活は、浮き沈みの連続だった。魂のエアバトラー・菊池流帆の大学サッカーとは?
―雄叫びのエアバトラー誕生―
今やすっかり菊池の代名詞となった「雄叫び」だが、実は高校時代はそれほど声が出ている選手ではなかった。「何がきっかけだったんですかね。目立ちたがり屋なので、自分の売りを作ろうと思って、ヘディングしたら”よっしゃー!!”って言っていました。自分のモチベーションにもなっていました」と言う。やり始めた時、周りは「笑いでしたよ!でも、全然笑ってくれていいよって感じでした。恥ずかしいとかもないです。自慢ですね、自分の」。そんな持ち前の明るさとフィジカルの強さで、大学1年目から頭角を現した菊池は、「青森山田でもそうだったんですけど、1年目はとにかく雑草魂を忘れず、初心を忘れず、素直に謙虚にやっていました。それが良い結果に繋がったのかなと思っています」と、リーグ戦第3節でスタメン出場を果たすと、最終節までスタメン出場。全日本大学選抜にも選ばれるなど、順調な大学サッカー生活をスタートさせた。
しかし、2年生になり挫折を味わうことになる。「大学1年でずっと試合に出ていて全日本選抜にも選ばれて、すんなり順調にいくかなと思っていました。でも、2年になって怪我も増えました。調子に乗って過信していた部分があったので、2年になって全日本にも選ばれなくなりました」。全日本選抜に選ばれなくなったことで、「ダメだと気づいた」と、3年生で迎えるユニバーシアードのメンバーに入るべく奮起。努力の甲斐あって見事にメンバー入りを果たすと、日の丸を背負って優勝した。「レベルが高い選手がいて刺激になりましたし、その中で絶対に負けられないと思ってやっていました。優勝は僕の力ではなくて、色々な人の支えがありました。そこを忘れずに戦っていました」。
1年目で順調な大学サッカー生活をスタートさせ、2年目で挫折を味わい、3年目では日本代表として優勝という歓喜を味わった菊池は、4年目で再び壁にぶち当たる。「開幕戦で怪我をして…。怪我はすぐに治ったんですけど、前期は全然試合に出ていないんです。試合に出られなかった経験があって成長したので、今となっては良い経験なんですけど、当時は本当にひどかったですね」と表情を曇らせた。試合に出られることが当たり前になってしまい、すぐに調子に乗る性格が災いし、「サッカーをやめようと思った」ほどのどん底を味わった。しかし、「俺はもう、やるしかないって思って。関西選手権、総理大臣杯に出させてもらいました」。
こうしてどん底から這い上がり、出場機会を得た菊池だが、このタイミングでの教育実習となり、試合には出られない期間が続くことになる。しかし、「それはしょうがないです、プラスにとらえるしかないので。ここで学ぶことも絶対に多いと思います。色々な人の話も聞けますし、こうやって中学生や高校生と一緒にサッカーをやって色々なことを思い出しますし、ここは自分の原点です。自分は青森山田で救われましたから」。
教育実習を経てチームに戻ると、関西学生サッカーリーグ1部で優勝を果たした。
―プロ―
「Jリーガーになる」という夢を抱いて、一般生として青森山田高校に入学した菊池だったが、Dチームからのスタートだった。「高校3年間はがむしゃらでした。3年目でやっと試合に出させてもらいましたけど、プロにいけるというレベルではなかったです。大学1年で試合に出させてもらって、やっと現実味を帯びてきました」。
大学ではその名を馳せ、早くからプロ入りを期待されていた。しかし、まだプロ入りは決まっていない。「全然プロは決まっていないんですけど、僕は悲観的になっていないです。将来の目標もぶらさずに持っていますし、どこにいっても僕は日本代表になって海外で活躍する選手になれると思っています」と前を向く。
青森山田高校時代の同期である松木駿之介(慶應大学4年)は、ファジアーノ岡山への入団が決まっている。「すーっごく嬉しかったです。すごく頑張っていたし、苦しいことも分かっていたので。松木がプロに決まったのも、あいつの性格の良さ。謙虚さと素直さがあいつは優れていました。怪我もあったけど、ぶらさずにやっていたからこその結果だと思います。僕もあいつに負けずに頑張りたい」。
「目標は、日本代表になってワールドカップに出ること。そして、レアルマドリードでプレーすること」。こう力強く語ってくれた彼にとって、それは手の届かない「夢」ではなく、実現可能な「目標」なのだ。
「俺はどこからでも這い上がりますよ」―。
その「帆」を広げどこまでも進んでいくであろう彼の姿が、この目で見られることを期待している。
.